エッセイ「心の残像」ESSAY

プリマ開発者中谷光伸コラム

第三夜 – 池 –

昨晩こんな夢を見ました。 夏の暑い夜、生家の和室に僕はいる。寝汗でも掻いたのだろうか、浴衣が濡れている。誰か僕を待っている。今夜、その誰かに僕は会いに行く。不意にそう思い、僕は寝床から立ち上がり、障子を開け、部屋を出る。庭の裏にある木戸を抜け、田畑の間、所々に民家が立つ集落の中を僕は濡れた浴衣で歩いている。山に向かって歩いていた。空に月があった。その光が僕の向かう山を照らし出している。しばらくして集落の外れまで来ると小川があった。朽ちかけた木の橋を渡ると、そこからは雑木が茂る山道である。辺りが急に暗くなり、心細くなった。僕は家に帰ろうと思った。けれどもこの先で誰かが僕を待っている。その思いは強い。その誰かに、今夜僕は会いに行くのだ。僕は暗闇の中、歩を進めた。時折、風が吹いて木の葉のささめく音の他は全くの静寂だった。この山の中で誰かが僕を待っている。それが誰なのか考えながら歩いていると、行く道の先に小さな池が見えた。 暗い山の中で、その池の面だけが不思議と明るかった。水面はまるで鏡のように月の光を照り返している。来た道はそこで終わり、その先はない。僕はその場に立ち止まり、辺りを見渡した。人の気配はない。それから、僕は池の中を見た。水は透明で、月の明かりが池の底まで届いていたが、池の中には何もない。けれども、確かに僕を待っている人がここにいる。そう思い、僕は水辺に両膝をつき、もう一度、池の中を覗き込んだ。その人はいた。池の中を見ている僕を池の中から見ている自分がそこにいた。その自分が、 「ようやく来ましたね。ずいぶんと待ちましたよ」と言って、僕に池の中から手を伸ばしてきた。僕も同じように池の中へと手を伸ばし、まるで握手でもするかのように二人は手をつないだ。そして、僕は強い力で池の中へと引き込まれた。 溺れることなく、冷たい水の中を沈んで行きながら、僕は池の上を見た。水面は僕が落ちたところから広がる波紋で揺れていて、その波の間にそれまで池の中にいた自分が水辺から池の中にいる僕を覗いているのが見えた。僕が池の底にいるのを確かめると、僕が来た道を、暗闇の中へと戻って行った。それからは、僕が冷たい池の底でいつかまた自分が来るのを待っている。