エッセイ「心の残像」ESSAY

プリマ開発者中谷光伸コラム

第九夜 – 子の刻 –

昨晩こんな夢を見ました。 寺の鐘が夜四つの時を打った。百日を越えて悟らなければ、死ぬが良い。和尚は言った。自分は覚悟して寺に入った。今宵が百日目である。寺の縁にひとり座して、造作なく置かれた石の庭に向かい、自分は思念した、無想した。悟りとは何か、無とは何か、どうして悟らなければならないのか、悟ってどうなる。悟りを得らねぬままに、時が流れた。  あと一時で自分は自刃する。膝先に刀が置いてある。覚悟はできている。悟れぬからには仕方ない。自分は百日の間、この寺に座り続けた。目の前には庭がある。灯篭の明りが、苔むした石を幽かに照らす。百日の間、見続けたいつもと同じ庭。石がある、土塀がある、その向こうに闇がある。しかし、無はどこもない。闇と無は違う。悟りは一向に具現しない。今更、思い残すことはない。間もなく死ぬというのに、妙に落ち着いた気持ちで庭を見ていると、雪が降り始めた。漆黒の空から静かに落ちては、石の庭に積もってゆく。雪の日に死ぬのもよいと思った。 雪の落ちる様を見ていると、寺の鐘が夜九つの時を打ち始めた。ボーンと一つ、そして、二つ、そして九つ、鐘が時を刻み終えた。百日が過ぎた。自分は覚悟を決め、脇差を手に取り、刀を鞘から抜いた。刃先を腹に当て、束を握る腕に力を込めた。その刹那にまた鐘がボーンと鳴り始めた。自分ははっとした。顔を上げ、庭に目を遣った。今しがた降り始めたばかりの雪が知らぬ間に庭一面を覆い、闇の中に青白い光を放っていた。